語り:ひろー
「目がおかしいな」と最初に感じたのは、40歳を過ぎた頃のことでした。夜になると極端に見え辛くなった。周りからも指摘されていましたが、最初のうちはなんとかごまかしていました。それでも進行は止まらず、48歳の時に網膜色素変性症と診l断を受けました。
50歳になると、運転中に危険を感じるようになってきて、ついに車を手放さざるを得なくなりました。そこからの3年間は、まさにどん底でした。家に引きこもり、うつ状態にもなりました。「目が見え辛くなっていく」という現実を受け入れることができず、やり場のない怒りを、近くにいた親にぶつけてしまったこともあります。今思えば、本当に申し訳ないことをしたと悔やんでいます。母もきっと泣いていたでしょう。母が亡くなった後、私もようやく心ゆくまで泣くことができました。
そんな私を変えてくれたのは、患者会との出会いでした。病院で制度について教えてもらい、手帳を取得して難病の手続きを進める中で、JRPS沖縄副会長の譜久島さんという方を紹介されたんです。譜久島さんは私を外の世界へ引っ張り出してくれました。前会長の長嶺さんも含め、二人は私の話を聞きながら、一緒に泣いてくれました。自分の考えを改める大きな転機になりました。
そこからは、「このままじゃいけない、挑戦してみよう」と前向きになれました。自立を強く意識し、福岡にある視力障害センターへ訓練に行くことを決意したんです。当時は父と同居していましたが、「父が元気なうちに自立したい」という思いがありました。父がいなくなってから慌てて一人暮らしを始めるのでは遅い、その前にしっかりと練習しておきたかったのです。
福岡での8カ月間は、本当に濃い時間でした。ロービジョンの訓練はもちろん、歩行訓練、バスや電車の乗り方、アイロンがけや掃除、料理まで、生活に必要な全てを学びました。寮生活では自分一人で移動し、授業を受け、課題に取り組む毎日でした。夜中まで「点字用紙を再利用した紙籠」を編むのに没頭しすぎて、先生に「パソコンの練習に集中しなさい」とたしなめられたこともいい思い出です。ここで学んだ自立の力と自信を手に、私は沖縄へ帰ってきました。
戻ってきてからは一人暮らしを始め、生活を築いていく中で、私は新たな目標を立てました。陸上の大会で「砲丸投げ」に出ることです。陸上選手だった父の指導のもと、近所の運動公園で地道なトレーニングを重ねました。その努力が実り、1年後には念願の全国障害者スポーツ大会という晴れ舞台に立つことができました。競技場で砲丸を握りしめたあの時の緊張と高揚感は、今でも忘れられません。
父は昨年、旅立っていきました。あんなに元気で、三線を弾き、私の挑戦を見守り続けてくれた父の姿がもう隣にないのは、やはり寂しいものです。けれども、不思議と父がいなくなったと感じることはありません。砲丸を投げるとき、日々の生活を送るとき、私の心の中にはいつも父がいて、背中を押してくれているのを感じます。失ったものばかりに目を向けるのではなく、今できる挑戦を全力で楽しむ。大会への出場は、私にとって大きな通過点でした。
これからも、私の歩みは止まりません。心の支えとして共に歩んでくれる最高の師匠、父と一緒に、私はまた新たな挑戦を続けていくつもりです。
私は約20年前、網膜色素変性症の診断を受けました。宣告から2、3年は、ただただ暗い気持ちで沈み込む毎日を過ごしていました。
そんな私の心に変化が起きたのは、ある居酒屋での出会いでした。
店に一人の全盲の女性が入ってきました。話しかけてみると、その方はマッサージの仕事をしながら生計を立てており、とても笑顔で、元気に話をされていました。
当時の私は、少し見えにくくなっただけで、自分で見ることを諦めかけていました。しかし、その女性と話し、力強く生きる姿を目の当たりにしたことで、「たとえ視力を失っても、人は一人で生きていけるんだ」と気づかされたのです。
それをきっかけに、地元の視覚障害者団体に顔を出すようになり、そこで「サウンドテーブルテニス(STT)」に出会いました。
最初は苦労の連続でした。始めてから2年間は、球に当てることすらできませんでした。それでも練習を続け、誘われるままに県大会へ出場するようになりました。
8年前には九州大会に出場しましたが、レベルの差を痛感し、一回戦敗退。その翌年には国体(全国障害者スポーツ大会)にも出場し、銅メダルをいただくことができましたが、自分の思うようなプレーができず「今のままではダメだ」と強く感じました。
そこから、毎日自宅での自主練習を始めました。
努力は少しずつ形になり、県大会で勝てるようになり、国体でも金メダルや銀メダルを獲得することができました。
今年1月の沖縄予選で優勝し、11月に地元・沖縄で開催される九州大会への切符を手にしました。昨年の九州大会は二回戦敗退という悔しい結果でしたが、今年の目標は「優勝」です。
今の私があるのは、あの日、居酒屋で出会ったあの女性のおかげです。あの出会いがなければ、私はまだ暗闇の中にいたかもしれません。これからも感謝の気持ちを忘れず、一球一球を大切に打ち込んでいきたいと思います。